懐かしい映像Ⅱ
↑これは、1983年にシルバーストーンで行われたブリティッシュGP125&250の映像で、二分五秒から250ccクラスが始まります。ゼッケン46が福田照男です。
この年のトピックとして500ccは
フレディー・スペンサーVSケニー・ロバーツ(シニア)の激突で、
この二人の実力は抜きん出ており
全12戦中、二人で6勝ずつ分かち合い、
他に優勝者が出ないというGP史上稀に見る展開でした。
そして、日本人にとって嬉しかったのが
500ccで片山敬済がこの二人に迫る活躍をしたのと、
上の映像にある通り250ccでの福田照男の活躍でした。
1982年の全日本250ccチャンピオンに輝いた福田照男が
「もはや全日本で得るものは無し。」として
1983年はプライベートながら世界GP250ccクラスに挑戦することを表明しました。
当時のGPはプライベーターにとって敷居が高く
エントリーを受理してもらうだけで膨大な労力を費やしたそうです。
しかし、前年の全日本チャンピオンということで,
ウェイティングリストの上位にランクされていたので
他のプライベーターよりは優位であったそうです。
実際のレースは前半戦こそ苦労しましたが、
GPの空気にも慣れセッティングも決まってきてからは得点圏付近を走るようになました。
この1983年、ワークス活動が無くマシンに関してはTZのワンメイクレース化していましたので、
レースで上位を走るには、いかにアフターパーツを使いマシンセッティングを詰めて行くかが勝敗の分かれ目だったそうです。
特に「H/Hシリンダー」「T・桝本チャンバー」「ブレンボレーシングキャリパー」は
三種の神器だったそうで、
福田氏もこれを手にいれた後半戦からは目覚まし活躍を見せるようになり
特に、この超高速コースのシルバーストーンではトップグループを走り、一時2位まで順位を上げる大活躍でした。
このまま行けばトップでチェッカーを受けることも夢ではない!
最低でも表彰台は確実と思われる鋭い走りを披露していましたが!
レース中盤に、なんと!痛恨のシフトミス!(上の映像で5分15秒付近に写ってます。)
しかし、辛くも立ち直りシーズン最高成績の6位入賞を果たしました。
本人曰く
「ギア抜けし、何速か忘れてしまい、踏むか、上げるか迷ったが安全を優先して踏んだ。」
要するに、走行中何かの弾みでギア抜けしてしまい、何速で走っていたのか忘れ、オーバーレヴを防ぐためにシフトアップしたが、結局パワーバンドを外れてしまいトップグループから脱落したのが致命的だった、ということだそうです。
因みに、レーシングシフトですので踏んでアップ、上げてダウンです。
当時のTZというか2ストレーサーはまだ排気デバイスなどのテクノロジーが十分発達していませんでしたので、パワーバンドがはっきりしておりそれを外すとまさに「天国と地獄。」でした。
スタンダードのTZすらこんな感じですので
世界GPを走るTZ、特にH/Hシリンダーを装着したマシンは、スタンダートのシリンダーに付いている「YPVS」(ヤマハ・パワー・バルブ・システムの略)が付いていませんでしたので、スタンダードのTZよりもっと「天国と地獄。」がはっきりしていたと思います。
余談ですが、どのチームもこのH/Hシリンダーに「YPVS」を装着出来れば鬼に金棒と、試行錯誤していたようですが、なかなかうまくいかず暗礁に乗り上げていたようです。
そんな中、クリスチャン・サロン擁するソノート・ヤマハチームだけが成功していたようで、この年に得たノウハウが1984年のチャンピオン獲得という結果につながったのだと思います。
そして、全日本シリーズ最終戦の鈴鹿で二人の「GPショック」が出現しました。
一人がフレディー・スペンサーそしてもう一人が福田照男でした。
何がショックって予選で二人共コースレコードを大幅に縮め世界GPライダーの実力を周囲に知らしめました。
スペンサーは500ccクラスにおいて当時「壁」、と言われ数々の日本人ライダーが挑みましたが、もはや切れないのではないか?と言われていたて二分二十秒をあっさり切り、
福田照男に至っては250ccのコースレコードを一気に4秒近く縮め二分二十六秒台を叩き出し、周囲を驚嘆させていました。
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